家庭ってなんだろう 家族ってなんだろう

私は いつも空想してた
あったかいふわふわのベットに寝て 
朝、鳥の泣き声とママの優しい声で 目が醒める
あったかいごはんとおみそしる
テーブルには パパが新聞を広げてて
ママが楽しそうに文句をいいながら 一日がはじまる
窓際では 猫が日向ぼっこしながらうつろいで
庭では 大きな犬がボールにじゃれて遊び
ママが鼻歌を歌いながら洗濯物を干している
他愛ない話しの中で 穏やかな空気が流れ 一日が終わる

私の憧憬
私ははそんな家が欲しかった

怒涛と大きな物音
お酒の匂いがたちこめた ふた間続きのちいさなアパート
私が安堵する空間は 部屋の外の吹きっさらしの階段だけだった
ひざを抱え 耳を塞ぎ ただ時間が過ぎるのを待っていた
目を瞑り 楽しい夢物語ばかり考えてた

私の空想癖はそこから始まったのかもしれない

10才 一家離散
殆ど面識のない父の実家 姫路の祖母の家の前に
一人置き去りにされた
涙はでなかった
ただ黙って 大人たちの困惑した顔だけ見てた覚えがある
それでも
旧家で厳格な祖母には感謝してる
琴、お茶、お花、作法
どこに出されても 恥ずかしくない教育を叩き込んでくれたから。
ことあるこどに優秀な父と比較され嘲笑れたことも
反抗という火とプライドが私を優等生にかえた

自分の感情を表にださなくなったのはこの頃だろうか

4年後 父が病死すら頃には 私は菊の紋のある家の後継者として
はじない子供になってた。

14歳  父が死んだ
母が戻り、私は愛媛の小さな漁村に連れて行かれた。
迎えてくれたのは 父の部下であった大嫌いな男。
「おまえはいらんけど 仕方ないから置いてやる」
それが「こんにちわ」の挨拶だった
お酒と光り物の好きな男だった
毎日振りかざしては乱闘。
私に怖い者がなくなったのは この訓練のたまものかな
少々のことでは動じなくなってしまった
弱気になって泣いてる暇などなかった

当時 私が ただの子供に戻れる場所は 学校だけだった
学校だけが 唯一 安心してくつろげる空間だった。
こんな私でも 不思議とどこへ行っても友達にも恵まれた
私が今こうして生きていられるのは 友達がいてくれたから。

わずか半年でで家を出た。一人暮らし。

相変わらず学校では優等生を演じた
「あいつに見下されたくない」それだけの理由。
トップクラス、学級委員 風紀 生徒会役員 優等生を絵に描いた
その半面 田舎町での河内弁と瞳にすえた光りが災いしたのか
いつのまにか裏番と呼ばれる私がいた。

出生の秘密を知らされたのもこのころ

自分の存在を許せなくて消そうとしたが失敗。
「ノーシン」と「正露丸」を一瓶飲んで しこたま吐いた!
_(*_ _)ノ彡☆ギャハハハ!!バンバン!!


15歳 初恋。
ひとつ先輩で アコギで歌い Gパンとゲタが似合うかわいい男の子。
詩を書き始めたのはこの頃。
桟橋で唄い高台の神社で語らい
朝交わす「おはよう」の一言で人生ばら色に見えた。 幼い純粋な恋。

高校は奨学金でとある進学高へ。
選択したのは ひとりで生きていく為の資格がほしかったから。
HRの予鈴とともに族仲間のバイクに制服のまま横座りでバイト先へ。
7年続けた新体操もドクターストップがかかり断念
過剰防衛で傷害で検挙。 拘束。 謹慎。

進路担当の先公に騙されて旅行の積み立てもパーになった。
修学旅行の思い出はない

なにをとちくるったか看護学校進学。
寮にはいり仕事と学校の往復で3年間が終わった。

19歳の夏 彼は逝った。
シンガーソンクライターとしてデビューしたものの メジャーにはなれず
家族の負債を返す為にNO1ホストに身を染め
薬に逃げてひとりで逝ってしまった。
幻覚に怯え  狂乱する彼に  私は何もできなかった
もう少し 彼の異変に早く気付いていれば・・・
すべてが遅かった。  遅すぎた。
私はその日から声をなくし 歌えなくなった
おそろのアコギも封印した

救えなかった悔しさと自分の無力さを思い知らされた

それから4年後  薦められるまま結婚。素朴で優しいひとだった。
私は家庭がほしかった。 家族がほしかった。 ずっと夢をみていた
結婚したら 私は 幸福になれると思ってた
そう 信じてた
理想と現実のギャップにリタイヤ
長男4歳 次男2歳
私が家を出た日 長男の誕生日だった。

一番近くにいて 一番私をわかってくれてるはずの人が
一番私をわかってくれてなかった。 それが、一番哀しかった

なにが原因やったんかな?
風邪をこじらせたんと ストレスと マンションの壁?
重度の喘息に陥った
重責発作と薬による心肥大
幽体離脱したときもあった^^;
発作が出て点滴をしながら 子供をあやした
なにもわからない子供が 外に出て遊ぼうと泣く
その傍らで どんな神経をしていびきをかいて寝ることができるのか!
そ知らぬ顔をしてTVを見て笑っていられるのか!
私には 「夫」が 理解できなかった

結婚当初 夫はまだ看護学生やった
働きながら隔日に学校へ行く
彼の給料は医学書と遊びに消え 生活費は私の収入だけ
その間 子供も生まれた
明日炊くお米がなくって思案してるとき
夫が嬉しそうな顔をして言う
「@@Drがゴルフのクラブを3万円で売ってくれはった!
払っておいてな」
そんなんばっかしやった。
そんなんばっかしやった。。。
人当たりがよくて 頼まれごとをいつも持ち帰ってきた
でも、自分ひとりでは処理できなくって それを片付けるのは いつも私
しんどかった!

卒業間近になり、国家試験を残すだけになったころ
「留年」の知らせを聞いた
卒業旅行中に女を買いに行き一泊したのが理由だそうだ。
実習期間中はよその病院に研修に行くため、
卒業までの1年間は無収入になる。
それをもう1回やるんか?
なんで学校行事の最中に女を買いにいく?
そんなんプライベートでなんぼでもやれるやん
時と場合を考えられんかった夫の浅はかさに 呆れた

子供のおやつはすべて手作り
子供の服もお下がりをもらってきては手を加え 着せた
ええママやったわけやない。 スーパーで買うお金がなかっただけ。
1回目の別居
半年後、離婚の話を持ち帰ったものの 妊娠
恨んだ!
この期に及んで・・・なぜ?
新しい命が なにかをかえてくれるんだろうか・・・

子供のためにもう一度だけ頑張ろうと思った

でもなにも 変わらなかった

ある日
なけなしのお金で買って作ったやきそばに、
あほが雪のように にんにくを振りかけた!
それを見た瞬間に それまで「子供のためにと
自分さえ我慢すればうまいこといくんや」と言い聞かせてた
鬱積した感情が爆発した
「こんなもんかけたら子供らが食べられへんやろ
 あんた、もういらんから出て行き!」

離婚を言うたとき、まわりのひとはみんな 私を責めた
そう。私があのまま黙ってさえいれば 家庭は崩壊せずにすんだやろう
上辺だけの家族でも両親そろった家庭の中で
子供たちは育っていっただろう

でも、私は夫と同じ部屋の空気を吸うのも嫌なほど 
受け入れられなくなっていた
そんな見せ掛けの家庭の中で、
子供たちが真っ直ぐに育つとは 思えなかった
歪んだ家庭の中に息することの辛さは 
私自身が 一番よくわかっていたから
自分の子供には 同じ思いはさせたくなかった

二度目の別居
この時 夫が子供を連れて郷里に戻った
喘息に侵され 帰る実家を持たない私に 親としての養育能力はないとの
家裁の結審があった
こどもは 宮崎の夫の実家に引き取られた

松山へ

あの時・・・そう あの時
私は ただ 眠りたかった
それ以外 何も考えてなかった

ただ、自分が存在する意味がわからなくて
自分が存在することが許せなくて 自分を消してしまいたかった
飲めないお酒を一瓶煽り 2か月分の睡眠薬を飲み
両内肘をカッターで切り裂いた
噴き流れる血が部屋を染めていく 
薄れいく意識の中で
「こんなわたしでも血は赤くて温いねんなぁ」 そう思ったのを覚えてる

胃と両腕の強烈な痛みで目が覚めた
と、同時にツレにこっぴどく殴られた
「あほう!ぼけ!カス! あたしはなぁ、夜勤明けなんじゃ」
そういうツレの瞳は完徹と涙で真っ赤に濡れていた

それから、半年間足で飯を食った
指が動き仕事ができるまでの1年は地獄のリハビリやった
アホやな^^;

病院の白い天井を見つめながら 悟った
私はすっと我慢して生きてきた
自分さえ我慢したら それでうまいこといくと思ってた
でも、それは大きな間違いやった
人を幸せにしようと思ったら
まず、自分が幸せにならなあかん。
人を笑わせようと思ったら 自分が笑っとかなおもしろない
誰も笑ってくれへん

あれほどひどかった喘息がこの日を境に出なくなった

愛にはいろんな形の愛があり
人にはいろんな愛し方がある

長女出産

宮崎へ
子供の入学を期に離婚届を提出
やっと、子供たちが帰ってきた!
長女は生後2ヶ月
自分以外の男の子供を生んだことで 復縁を諦めたらしい
この長女が 上二人の子との
4年間の空白の時間を取り戻す潤滑剤になってくれた

宮崎で言葉を覚えた子供たちとは
大阪弁を話す私とでは 会話も通じず 苦労した
関西味で「ママのはお味噌がはいってない」とも言われた^^;
長男を小学校に送り出した後
生まれたばかりの長女を乳児保育園に預け
次男を別の保育園に預け 出勤 看護婦として働く
長女は先天性疾患が9つもあり 長生きはできないだろうと言われた
しょっちゅう保育園からお迎えのTELがあった
でも、OP室勤務の私はすぐには行けなかった・・・
OP終了後 片付けをせずに 病院のスタッフに頭を下げ 保育園へ。
すぐお迎えにいけなかったことで保育士の先生に頭を下げ
ぐったりする長女が不憫で申し訳なくって 頭を下げた
そんな生活に 疲れ果て 看護職を離脱。
自宅でできる職を探し アニメーターの資格を取り転身
これなら誰にも迷惑をかけずにすむと思った
難点は収入額の激減。補うには枚数をこなすしかなかった
2日に1日寝るのが当たり前になっていた

離婚して10年。いろんなことがあった。毎日が必死だった
過労で2度の心不全を起こした。やばかったなぁ^^;
「ママはいつ寝てるの?」それが子供の口癖だった^^;

恋をした。一回りも年下の人。3年半一緒に住んだ。
当人は勿論のこと、誰しもが結婚すると思ってた。
でも、私は「年上+バツ1+3人の子持ち」
それがネックになって 彼は私を父親に紹介できなかった。
「自分が本気で惚れた女やったら、どないな女でも胸を張って
誇れるやろ?! それが できへんねやったらやめとき。
男のために母親やめる女なんか ろくなもんやないわ。
自分にふさわしい女を探しなはれ」 オリャァァ!!(。 ・)θ☆(*x_。)/
彼は 上の二人とは野球を通じ よく遊んでくれた
でも長女とは 私を取り合いした。
まだ、5歳
目の離せない長女は 「迷子になる」という理由で いつも家に残された
ある日、長女が手を繋ごうと彼の手を握ったとき
彼は その手を振り解いた
まもなくして 長女のチックが始まった。
  
彼のことはほんまに好きやった。
でも、私は 「子供より俺が1番」を主張する彼より 子供を選んだ
私のプライドがその恋の幕を下ろした
あれから3年
悲しみを消すために、寂しさを紛らわすために
馬車馬のように働いた
過労で3度目の心不全+腎臓結石で入院
(うーん・・(〃 ̄ω ̄〃ゞ あれは痛かった!マジ死ぬかと思った。)
虚勢を張って強がっても、ホントはいつも淋しかった

わたしは たったひとりで飛び続けることに 疲れ果ててた
羽を休める止まり木が 欲しかった

恋をした
自分をさらけだして休める場所に 巡り会えた
叶わない恋。 禁断の恋。 結末は最初から見えてた。
それでも 愛さずには おれなかった。
月1でもいい。ほんの数時間でもいい。
束の間でもいい。私だけの温もりが欲しかった

3回目の腫瘍摘出

彼がいたから頑張れた
どんなにしんどくっても、どんなに辛いことがあっても
彼がいたから。笑っていられた
束の間でも、唯一 ただの私に戻れる場所・・・
いい年をして・・・って笑われるかもしれないけど
私は彼のために可愛い女になりたかった
美容院に行ったり お化粧の仕方も勉強した
ウインドゥショッピングをして かわいい服を見つけたら
子供に選んでもらって 買った^^

彼がいてくれたら、他になにもいらなかった
なにも望まない
彼に逢える日のために 毎日頑張れた
彼に逢うことだけを夢見て それが 私を支えてた
彼が私の源
過去形じゃない
ずっとそう思ってる
あなたがいてくれるから どんな辛いことでも 私は頑張れる


なんのしがらみもなく 「好き」という気持ちだけで生きられたら
よかったのにね・・・
それだけでいられた あの幼い遠い日が懐かしい

幸せの形なんて ひとそれぞれ
私の幸せは 私の大切なひとが 笑ってること

あなたもそう^^
あなたが幸せなら それでいい
あなたが穏やかで 笑っていてくれたら
私はそれだけでいい。
それが 私の幸せ。
肩書きなんて欲しくない
ただ あなたが 私を愛してくれていたなら
私はそれだけでいい
それだけで 私は幸せなの!

私には笑顔が似合う
笑ってるわたしが 一番好きだと あなたは言ってくれた
だから、私はいつだって笑っている^^
どんなに 辛いときでも
どんなに 悲しいときでも
私は 笑ってる




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